展覧会レポート | 「見えない壁」を越えようとしたとき。
後編
2021.12.20
引き続き、『郡裕美展 壁の向こうへ』に訪れている。なぜここに居るのかについては、前編を読んでしてほしい。
郡裕美さんは、作品の制作時、この場所に何度も足を運び、籠もり、うんうん唸って生み出したそうだ。階段を登り降りしすぎて、膝を痛めてしまったhほどだそう。展示が完成に至るまでに、限りない数のスタディができたと郡さんは話す。
スタディとは建築用語で、設計を行う際に設計内容を確認するために作る簡易模型のこと。けれど郡さんの中では、「思考の過程を残すもの」で、決して「展覧会の準備」ではないのだそうだ。「展覧会というゴール自体を、発見や思考の場として楽しんでいます」。完成するまでの脳の動き・アイデアのゆらぎという制作過程そのものを存分に体験するために、展示を開催している。
18時からは、郡裕美さん(スタジオ宙一級建築士事務所 )と島田陽さん(タトアーキテクツ)の建築家同士の対談トーク・公開インスタライブイベントが行われた。『郡裕美展 壁の向こうへ』の展示内企画だ。
「建築とアートの違いについて」、「作品制作と通常の建築設計をどう切り分けているか?」など、建築家でありながら作家活動も行うお二人の対談はは、興味深い内容だった。また、大学で教鞭を取るお二人から学生たちへのメッセージ、建築との向かい方などの話もあった。
印象に残っている言葉がある。
「周囲や世界が今までと違って見える時、ついその対象が変わったような気持ちになる。けれど、実はそうではないかもしれないと疑うことが大切。自分自体も、ゆるやかにしっかりと時間の経過を経ながら、変わっているんです」という郡さんの言葉だ。
確かに、現象や判断をそのまま、周りの力や影響によるものだと決めつけるのは、視点が固まりすぎているのかもしれない。作品と対峙して違和感を感じた時、自分の中のノイズによるものではないか?自分のフィルターや眼鏡の度数が変わったのではないか?と一度立ち止まって自分に問うことも必要かもしれない。この感覚を生かした作品事例として、ジェームス・タレルの「タレルの窓」や、ジョン・ケージの「4分33秒」なども話題にあがった。
盛り上がったのは、建築と芸術の違いについての話題。「建築は問題解決、芸術は問題提起だと捉えています」と島田さん。島田さんは、建築設計とアート作品はこの定義で切り分けて制作しているそうだ。郡さんの場合は、あまり境界線を設けていないという。作品制作を行う上では、内部空間・外部空間の関係性など「空間・建築」というアウトプットを通して、芸術表現をすることを唯一心がけているのだそう。
「建築の仕事では、住まい手が暮らす中で生身で感じる、風・自然・光・肌触りなど通して、人間として幸せだと感じられるような設計を心がけています。芸術作品においても、各所に隠し混ぜておいた、“実は”、を生身で体験しながら見つけてほしいです」
今回の展示内でも、見るだけではなく、体を動かして気づかせる仕組みが用意されているものが多くあった。作品制作と建築設計のどちらの場面でも、一貫した指標を持ち行っていることが理解できる。
最後に、今回の作品展示のテーマ「見えない壁」とは何なのか、少し考えてみた。「見えない壁」とは、なにか自分の純粋な行動を制御するものだ。町を歩いている時、注意書きや案内板ばかり見ていて、道ばたに咲いている花や風景の存在に気づけないこともある。ルールや注意書きに目を取られて、無関心のまま、心を動かし得る“その風景”を見過ごしてはもったいない。
心の中にある「見えない壁」や固定概念を自覚し、意識的に取り除木、レンズの強度を緩めて世の中を見てみよう。そうすると日常は、驚きに満ち溢れたアートだらけだと気づくかもしれない。
文・写真:小倉千明